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2022.06.11

古民家ブログ

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江戸はリサイクル都市だった 人の住まいは?

 

リサイクル都市江戸」という記事が掲載されていました。

江戸時代の日本は生活に使う物資やエネルギーはほぼ

植物資源に依存していました。

鎖国政策で資源の出入りがなかった国ですから独自の

循環型社会を築き上げるしかなかったからですが、植物

は太陽の光とCO2と水で成長するので太陽エネルギーに

支えられていた時代でもあります。

 

そんな環境下で考えられた工夫が

・まず暑さ対策

現代の日本はどちらかというと寒さ対策が重視されて

いますが、江戸の人たちは夏の暑さに苦労したそうです。

冬は衣服を着こんだり、火鉢や囲炉裏で炭を燃やして暖

を採ればしのげましたが、暑さを凌ぐのは大変だったよ

うです。

徒然草にも「家の作りようは、夏をむねとすべし」と書

かれています。

そのなかで生まれた知恵が「打ち水」です。

気化冷却現象ですが、そこまではわかっていなかったで

しょうが、過ごし安くなることは感覚的に知っていたの

でしょう。

家の中に風を通すことも一つの工夫です。

大きな開口部を設けて風の通り道を造っています。

日射を遮りながら風を通す簾やよしずも利用しています。

 

・着物のリサイクル

当時の着物は細長い反物から作っていたので端切れは

ほとんど出なかったそうで、着付けの仕方で調節できて

仕立て直しも簡単でした。

長男が着れなくなれば次男が着るのは当たり前でこれは

昭和に中ごろに生まれた私もそうでした。

三男でしたからお古は当たり前でした。

繕いやスリ切れが目立つようになれば寝間着、おむつ、

雑巾として使われぼろぼろになったら燃料になりました。

私が小学校の頃は雑巾の次は土壁の中に入れて使うと聞

いたことがあります。

燃料として使った後の灰は肥料になりました。

徹底して使い切っています。

 

江戸の住生活

家を建てるというのは今でも人生に置いての一大事ですが、

当時はもっと大仕事だったでしょう。

大切な財産ですから、何代にもわたって住み継ぐ工夫が凝

らされています。

古民家と言われる家にある石場建という現代の家の基礎に

あたる部分は地面から吸い上げられる水分で木が腐るのを

防ぎ、床下の通風を良くしてシロアリの被害を防ぎます。

またこれは耐震性の面でも優れていて揺れを上部の構造に

直接伝えないという柔構造でもあります。

また当時は金物は高価だったからか現代のように釘は使わず

「腰掛蟻継ぎ」「金輪継ぎ」「追掛大栓継ぎ」といった継手、

仕口で柱や梁が組み合わされていました。

金物を使わない組み方は結露による錆や腐食がなく、接合部

を解体して組み直せるので増築や改築に適していました。

また木材は乾燥に伴い経年で強度が高まるという特徴もあり

ます。

そして土壁や漆喰は防火に優れ、調湿性があり、引戸がたく

さん使われている間取りは家族の人数が変わっても住み続け

ることができる造りでした。

 

島国ゆえに限られた資源を利用して成り立ってきた国ですから、

どんなものも無駄にしない「もったいない」という精神が根本

にありました。

子供のころ、ご飯を食べてもお茶碗にご飯の粒が残っていると

「きれいに食べなさい」と言われたものです。

この「もったいない」という言葉は現代の若い人はどう受け取

るでしょうか。

もはや死語なのかもしれませんが。

 

今更江戸時代のような生活はできないかもしれませんが、もし

今現在輸入に頼っているものが入ってこなくなったら、いやでも

何か方法を考えなければなりません。

そんな時は江戸時代のような生活に戻ることにしますか。

先人たちがしていたことですからできないことはありません。

 

本文は「リサイクル都市 江戸」に関する文献を一部引用しています。

 

 


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