2023.03.3
スタッフブログ
速度と風景と先が見えたり見えなかったり
輪和建設、大工の國分です。
最近、建て方の3日目にあたる、屋根仕舞いの応援に行った際、お施主様からブログが面白いと言って頂けたので、少し調子に乗ってます。國分です。
いつもご愛読いただきありがとうございます。
建て方にお邪魔するのはこれで2回目なのですが、スーパーバンビちゃんは卒業できたような気がします。
が、未だに四足歩行です。人類への道のりは長い…
森下さん、中島さん、面倒見ていただきありがとうございます。
さて、前回、美しい風景の中の住まい学を読んでの感想や考察を書きましたが、その中で移動速度が変わると、見える風景が変わると書きました。そのとき個人的に「お、これは面白いのでは」と思ったので少し深掘りしてみたいと思います。(勝手な妄想を膨らませていきます。)
なので本に載っていたわけではないので、あんまり本気にせずに軽い気持ちで読んでいただければ。
では。
よく、バイクの運転とかでスピードを上げると、視野が狭くなると言いますね。
近くの景色はすごい速さで流れていってしまうため、捉えきれなくなるからってのが大きな要因だと思います。
ですが、もう一つ。
移動速度が速くなる(車)と必然的に遠くを見ておかないといけなくなる。そうなってくると、視野が狭くなるのだろうな思います。
逆に移動速度が遅くなる(歩き)と遠くを見る必要性がなく、自然と視野は広がる訳ですね。
おそらく!
さて、では現代の道について考えてみましょう。
今は車社会です。
必然的に道は車の為の道となり、遠くを見て視野が狭くなった運転手のために道は見晴らしがよく、お店もその運転手の目に止まるように工夫を凝らします。
逆に言うとこの状況、歩きの人にとっては先が見えすぎてしまってきっと苦痛なのですね。
遠くの物が既に見えてしまってる。だから景色が中々変わらない。歩いてても楽しくない。
同じ景色がどれくらい見え続けると、人は退屈に感じるのか。ってので研究して論文書いたら面白そうですね。
しかし研究して、精密な時間との関係を求めなくとも、なんとなく、移動速度が速くなるにつれて、見晴らしの良い道は愉しくなり、移動速度が遅くなるにつれて見晴らしの悪い道が楽しくなる気がしますし、そういった関係性を理解しておけば、十分かもしれないです。
ちなみに、観光地の昔ながらの街並みで歩いてて楽しいとこって、結構道がくねくねしてて、狭くて見晴らしは悪いですし、僕の大好きなひろめ市場(高知にあります)も内部空間はごちゃごちゃです。
やはり歩く人のための道というのはそういうものなのでしょう。
そういえばフランク・ロイド・ライトさんの設計された住宅の内部も先が見通せず(でも建具などで区切られているわけではいので空間は連続しています)、内部を歩くにつれて様々なシーンが展開されてもうホント最高です。
魅力的な路地の空間が住宅の中に内包されている感じです。
中島さんから約一年前にお借りした本に、この世界は”相似象”であるという素晴らしい言葉があったので、それをここで無理やり応用して、先ほど展開していた論を人生訓に飛躍させて締めくくりたいと思います。
(本はまだ返せてません。申し訳ないです。)
人生この先何が起こるか見通せないですが、確かに未来に繋がっている今を、焦らず着実に歩んでいきたいものです。するときっと魅力的な人生が目の前に広がっている…のかもしれません。
逆に先の見通せる人生だったら、電光石火のごとく駆け抜けたら、楽しいのかも。
もはや攻略サイトを見て進めるゲームですね。笑
「吉野の木を伝統技法で建てる工務店」輪和建設株式会社では、永く健やかな暮らしを求め、自然素材にこだわった奈良の木の家づくりをしています。
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